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El Articulo de DAI FUJIMOTO vol.3
2006年01月31日
遂に公式戦連勝記録が途絶えたバルセロナ。今回、その記録を打ち破った輝かしい挑戦者はサラゴサだった。国王杯準々決勝ファーストレグ、ホームのラ・ロマレーダ・スタジアムにバルセロナを迎えたサラゴサは、エベルトンとディエゴ・ミリートという二人のFWの大活躍により4‐2で勝利を収めた。
バルセロナにとっては修正すべき箇所が多く、そして悔やまれるミスもあった。審判の恵みを受けてのPK獲得、それによる1点が無かったら、点差は3点となってセカンドレグでの巻き返しはほぼ絶望的になりかねないところだった。「運」が欠けていたわけではない。むしろ運があったから4点で済んだと言い切ってしまえるくらい、サラゴサ攻撃陣にチンチンにされた。
この試合バルセロナが向かえたピンチはほぼ二つに大別できる。1つは中盤でのプレッシャーが無くなり、サラゴサのパスの出し手(この日はMFカニがその大部分を占めた)がタイミングを見計らってディフェンスラインの裏にパスを出す。それにFW陣がタイミングよく飛び出しGKと一対一になるもの。そしてもう1つはサラゴサのカウンター攻撃から素早く両FWにボールを預けられ、DFと一対一の勝負を挑まれ、突破されるというもの。
確かに、この試合のサラゴサの攻撃は満点といっても過言でないほどのクオリティを見せた。特にエベルトンのスピードは、まるで普通の選手とはエンジンが違うかのようで、バルセロナのセンターバック、オレゲルやマルケスと比べれば、“超速”だった。
翌日のAS紙ではオレゲルとマルケスの評価はいずれも0と手厳しいものだった。しかし真に責任があるのはミッドフィールドから前の選手たち。彼らのディフェンスが杜撰だったから負けたといってもいい。確かに、1点を先制された後、チームが前がかりになるのは致し方ないことで、そこにはカウンター攻撃を受けるリスクが存在することは百も承知だ。しかし、それでも守備的MFに入る選手は常にカウンター攻撃に対してアンテナを張り巡らせていなければいけない。スタメン表を見れば、バルセロナはエジミウソン一人が中盤の底に入った形だが、イニエスタとファン・ボメルの二人を含め、バルセロナの中盤は目まぐるしくポジションを入れ替える。エジミウソン一人というより、3人の攻守のバランスが崩れたことが失点に繋がったといえる。
バルセロナファンがこの敗戦で思い起こしたのが、去年のチェルシー戦。あのときも先制点を奪われると、反撃に転じようとオフェンスに人数を投じたところを、逆に利用され速攻から立て続けに追加点を奪われた。そしてこの試合でも最初の3点が入ったのは、前半22、24、27分だった。わずか5分間の出来事・・・。
輝かしい連勝記録のもとで、これまではバルセロナが抱える問題点が見えなかっただけなのかもしれない。MFチャビは昨シーズンのチェルシー戦の後にこう語った。「とてもいい教訓になった。決して全員で攻めるなんてことをしてはいけないんだ。常に攻撃している時でも守備のことを考えていなければいけない。僕たちに欠けていたのはそういうことだ」。チャビは現在、怪我のためこの試合には出場していなかったが、この考えは彼個人が思っていたことではなく、今季のバルセロナがチームとして改善するべきポイントとの一つとしていたはずだ。
今シーズンこれまで、圧倒的な力で相手をねじ伏せてきたバルセロナ。サンティアゴ・ベルナベウでのクラシコでさえも0‐3で完勝してしまった。今シーズンの敗戦はシーズン前のスーペル・コパ、ベティス戦を入れても、このサラゴサ戦がわずかに3試合目である。リーガの順位表だけを見れば、15勝4分1敗、得点49、失点16とその力は疑いようが無い。恐らくこのまま2年連続のチャンピオンになることに、それほどの困難は付きまとわないだろう。しかし国王杯と、バルセロナの今季の最大の目標であるチャンピオンズリーグには疑問符がつく。すでに2点のビハインドを負ってしまってホームでの一戦を残すのみの国王杯は言わずもがなだが、同じくチャンピオンズリーグも足元が怪しくなってきた。
カップ戦を勝ち抜くためには、何よりも勝負強さである。それなりの試合数を戦うリーグ戦は、黙っていても一番優れているチームが凱歌を上げるが、勝ち抜き方式であるカップ戦は事情が異なる。そのいい例が、リバプールだ。去年のチャンピオンズリーグの優勝チームのリバプールは、昨シーズン、国内リーグ戦ではチャンピオンに輝いたチェルシーに勝ち点25差の5位に終わった。歴史を紐解いていけば、このリバプールのような例が稀有でないことは明らかだ。
先制されたときの戦い方を知らない−。バルセロナはここまで強すぎた。それ故、追いかける状況というものをほとんど経験していない。例え前半1分に先制されたとしても彼らはその2分後には逆転することを目指すかのような猛攻撃を仕掛ける。試合は90分、普通に戦っていてもバルセロナのオフェンス力ならいくつもチャンスを迎えられるはずなのだが・・・
バルセロナはそうした試合展開を読む力が欠けていると断定せざるをえない。試合展開を読む力というか、劣勢に耐える忍耐力といってもよい。勝ちに慣れすぎた彼らは、電光掲示板にバルサが負けているのを認めることに我慢が利かない。1秒でも早くその数字を逆にしたいと考える。それは弱点でもあり、しかし同時に素晴らしい勝者のメンタリティーでもあるのだが。
しかし、実は私はそんなにバルセロナのことを心配していない。なぜなら去年のチェルシー戦、そして今回のサラゴサ戦も共通して一人のプレーヤーが欠場していたのは単なる偶然ではないと思っているからだ。その選手の名前はデコ。ブラジル生まれ、ポルトガル代表の彼は、あのクライフをして「世界で一番サッカーの上手い選手」である。クライフは何もデコのブラジル仕込みのテクニックや、類まれなる守備力を評価して世界一の称号を与えたわけではない。そのポジショニング、そして「今何をしなければいけないか」を鋭く読み解く、試合の流れを読む力を絶賛したためである。
彼のシュートが、度々DFに当たりコースを変えてゴールに吸い込まれるのも、何回も続けばそれは「運」で片付けることは出来ない。「シュートを撃たなければゴールは生まれない」とは本人の弁だが、“積極性”というありきたりの言葉で彼のゴールを表現することはなんだか失礼な気がする。「いつ、どこで」シュートを撃つとゴールが生まれる可能性が高いか、GKやDFがミスをしやすいか、ということを驚くほど冷静に見極めるデコ。チームが僅差で勝っている試合終盤には、上手く相手選手のファウルを誘い、残り時間を潰すと共に味方のディフェンスラインの押し上げに貢献する。“狡猾”と表現されるほどのプレースタイルだが、監督にとっては頼もしいピッチ上の指揮官である。
奇遇にもチャンピオンズリーグ、ベスト8を賭けた戦いは、今年もバルセロナとチェルシーの対決となった。去年の借りを返そうと躍起になっているバルセロナの選手たち、その中にあってもデコの存在感は特別だ。「チェルシーと対戦したかったかだって。もちろん対戦したい気持ちはあった。でもそれは復讐という意味じゃない。そう考えれば、それは間違いだ。チェルシーという偉大なチームに挑戦できることが嬉しいんだ。僕はいつだって、挑戦することを愛してやまないからね」。
彼がいるのといないのとでは、バルセロナは違う顔を見せる。「ピッチ上の指揮官」が緑の芝の上でタクトを振るえれば、バルセロナが去年の二の舞にはならないだろうと私は確信している。
(文:藤本大)
